最近読んだ本
多和田葉子(文)、溝上幾久子(絵)「オオカミ県」
なるほど、絵本の世界でも「絵」と「文」の作者には格の違いがあるんだな…単に(表記順が統一されてない)のではなく、映画の役者名みたく「知名度なりキャリアなり優れている方が優先的に表記される」といった仕来たりがあるのでしょうね。
それはともかく、銅版画と聞いて浮かぶイメージどおりの絵もあれば(これも?)と思うような絵もありました…濃密なクレヨン画や淡いインク画のようにも見えて、格上に置かれた多和田の文章と互角に主張しています。
といっても勝ち負けじゃなく、文を説明してないというか…むしろ(絵と文は別々に出来たのかも)と思う位、それぞれ独立した印象が。
もちろん、文と絵が(てんでばらばら)なのではありません…同一対象を異なる受像体で捉えたかのように、相互補完しながらもパラレルなバイアスの語り口であると感じるのです。
といっても僕は文章を使っているので、多和田寄りの説明になってしまいますが…本書はオオカミ県の青年が、兎じゃない動物たちが“兎のふりをして住んでいる”東京で暮らす内に(目覚めてしまう)といった寓話です。
おそらく読後は誰もが(この話を彼は知っていただろうか)と思うでしょう、でも本書は首相暗殺から着想を得た訳ではありません…'22年以降に本書を読むと、寓話とは絵空事じゃないのだと感じる筈。
インターネットの風評から、災害視察の官僚と陰謀論が向かう先…オオカミは人を襲うんじゃなく“人に襲われた時に抵抗するだけ”、まぁ追い詰められたネズミは猫を噛むし好奇心が殺す猫もいるし。
読解力がなく“オオカミになろうぜ”を真に受ける兎がいるとしたら、本書を危険な扇動と断じる兎もいるだろう…なんて杞憂も笑い飛ばせない“広告に囲まれてみんなが読みたくなるようなギラギラしたニュース”に溢れ、小さな声にまで大声のハウリングが混じってる気さえする昨今。
大人の絵本というよりも、子供と兎には薦められない寓話かも…初版'21年、論創社刊。
なるほど、絵本の世界でも「絵」と「文」の作者には格の違いがあるんだな…単に(表記順が統一されてない)のではなく、映画の役者名みたく「知名度なりキャリアなり優れている方が優先的に表記される」といった仕来たりがあるのでしょうね。
それはともかく、銅版画と聞いて浮かぶイメージどおりの絵もあれば(これも?)と思うような絵もありました…濃密なクレヨン画や淡いインク画のようにも見えて、格上に置かれた多和田の文章と互角に主張しています。
といっても勝ち負けじゃなく、文を説明してないというか…むしろ(絵と文は別々に出来たのかも)と思う位、それぞれ独立した印象が。
もちろん、文と絵が(てんでばらばら)なのではありません…同一対象を異なる受像体で捉えたかのように、相互補完しながらもパラレルなバイアスの語り口であると感じるのです。
といっても僕は文章を使っているので、多和田寄りの説明になってしまいますが…本書はオオカミ県の青年が、兎じゃない動物たちが“兎のふりをして住んでいる”東京で暮らす内に(目覚めてしまう)といった寓話です。
おそらく読後は誰もが(この話を彼は知っていただろうか)と思うでしょう、でも本書は首相暗殺から着想を得た訳ではありません…'22年以降に本書を読むと、寓話とは絵空事じゃないのだと感じる筈。
インターネットの風評から、災害視察の官僚と陰謀論が向かう先…オオカミは人を襲うんじゃなく“人に襲われた時に抵抗するだけ”、まぁ追い詰められたネズミは猫を噛むし好奇心が殺す猫もいるし。
読解力がなく“オオカミになろうぜ”を真に受ける兎がいるとしたら、本書を危険な扇動と断じる兎もいるだろう…なんて杞憂も笑い飛ばせない“広告に囲まれてみんなが読みたくなるようなギラギラしたニュース”に溢れ、小さな声にまで大声のハウリングが混じってる気さえする昨今。
大人の絵本というよりも、子供と兎には薦められない寓話かも…初版'21年、論創社刊。
| books | 2024.03.14 Thursday | comments(0) | - |