おいでよ どうぶつの森
おいでよ どうぶつの森 (JUGEMレビュー »)

22世紀を目指し、カレンダーの最終日までタイムスリップしたりと相変わらず楽しんでます。
2100年のどうぶつ村は如何に?笑
紹介記事【2019.06.19】
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こちらも「アーサー王宮廷のヤンキー」同様「トウェイン完訳コレクション」の一冊、子供の頃に読んだ童話絵本をイメージしたら大違いです。
古き良きアメリカの牧歌的なジュブナイルに見せ掛けた辛辣な社会批判は、巻末あとがきのナイスフォローを先に読む方が好いかも?
紹介記事【2019.05.22】
Ben Folds & Nick Hornby - Lonely Avenue
Ben Folds & Nick Hornby - Lonely Avenue (JUGEMレビュー »)
Ben Folds & Nick Hornby
「ハイ・フィデリティ」作者×ベン・フォールズ・ファイブ元リーダー(?)のコラボ作。
SOSとはまた異なるバカラック的ドリーミーさ+初期B.ジョエル的な吟遊ピアノ感、ヴィンテージ系シンセ&ストリングスのあしらいも絶妙。
紹介記事【2019.06.27】

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最近読んだ本
片岡義男「花のある静かな休日」

短編というよりも“ちょっとしたスクリプト”といった文章が連続している、奇妙な短編集だ。
もしかしたら、これまでに依頼された“広告に添えるためのテキスト”をまとめたものなのかもしれない。

後半のいくつかには、それぞれタイトルらしきものが付けられてはいるものの、それとて前段から繋がる段落のように読めてしまう。
いわゆる短編小説のように各話ごとの余白が設けられていないし、ほとんどが「*」で区切られているだけなので、同じ話の中の新章なのかと思ってしまう。
でも「*」の前と後では完全にエピソードが異なっていて、例外的に関連性があるものはシリーズ広告だったのではないかと思えてくるのだが…あとがきも解説もないので、真相は不明。

様々な登場人物の、他愛なくも特別なひとときがシームレスに展開していく。
当然ながらオチなどなくて、感情移入する間もないけれども…そもそも主観的な描写でも客観的な印象を受ける文体だけに、まさしく映画の一場面を観ているようだ。
きっと彼や彼女らがどうなるのか、なんて事は問題じゃないのだ。

ある話の、70年代を総括するインタビューに、以前読んだ写真集の対談で言及していた安保学生運動に関する洞察を思い出した。
著者が広告業界と密接な関係にあった事を想像させ、かつ現在の販売業のジリ貧スパイラルが半世紀近く前から端を発していたような指摘は興味深かった。


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上記の話のインタビュー箇所(135ページ以降)を、無断引用させていただきます。
以下の抜粋について、削除要請あった場合は速やかに対応します。


「国をあげてまっしぐらに突っこんでいった経済活動だけが、そこにあるわ。若い人の文化、などとおだてられて、じつは世のなかを動かしている大人の男性たちの、ただ不気味なだけの経済活動に本格的に利用されはじめたのが、私たちの世代ではないかしら。きっと、そうよ。当時の私たちは、時代の最先端を生きている実感を楽しんでいたのだけれど、内容なんかどこにもなくて、ただイメージだけをむさぼるように食べていただけだったのね」

「しかも、あたえられたイメージだけを。大衆が消費者として特権を手にしはじめた時代が、七〇年代なのだと私は思うわ。最初は、物だったのよ。もっとよこせ、もっとよこせと、大衆は物を欲しがったの。物を売るためには、それをいったんイメージになおさなければいけないわ。だから、物と同調して、イメージが次々に作られては、私たちがそれを消費していったの」

「自分の感性を信じます、などと当時の私は言っていたのよ。ああ、恥ずかしい。いまでもそんなことを言っている人たちがたくさんいるけれど、馬鹿ねえ。個性的なライフ・スタイル。自分だけの価値観。趣味に合った消費のスタイル。すでにばらばらに切り離されている人たちを、個人ひとりひとりの感性や価値観でさらに切り離しておいて、その次には、消費のスタイルであらためてくくりなおすの。七〇年代から八〇年代にかけて、私はそんな仕事の前線にいたから、身にしみて知ってるわ。自分のたどって来た道がいったいなにだったか、よくわかるわ。そしてこの道のどこにも、当時のファッションや音楽が、まるで墓碑銘のように聞こえていて」

「必需品がひととおりいきわたって、そのあとでいきなりはじまったのが、イメージ競争ね。自分、自分の感性、自分の趣味、自分のライフ・スタイル、というイメージづけをした上で、いろんな品物が消費者のまえに登場してきたの。それを、消費者である大衆は、次々に消費していったわ。もっとよこせ、もっとよこせという消費者の特権は、物の次にはアクションを欲しがったの。どこかへいくとか、どこかへいってなにかをするとかいうような行動ね。そして、そのあとは、こんどは在りかたなの。こんな在りかた、あんな在りかたというふうに、消費者を可能なかぎり横に広げてゆくのよ。横に広げて、さまざまな側面をみつけ出し、作り出し、なにを欲しがっているか先読みをして、それを生産者側につないでいくという仕事を、いまの私はしてるわ」

「現在だけを問題にして、ここには現在だけしかないのだと思いこもうとしている特権者が大衆なら、私には現在はないと言いたいわ。私には、現在はないの。ふりかえると以上のようで、現在はなくて、ここから先はただ落ちていく先」

 ここから先は、落ちていく先だって? 落ちないためには脱出しかない、と彼女は言っていた。
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    | books | 2012.01.01 Sunday | comments(0) | trackbacks(0) |









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