最近読んだ本
日垣隆「それは違う!」
本書は'99年に『「買ってはいけない」は嘘である』として出版された内容に3章を追加した文庫本で、初版は'01年です。
僕は「買ってはいけない」を読んでませんけど、本書に収録された「買っては〜」側の反論を読んだ限りでは説得力ゼロですな。
内田樹のいう(借り物の信念)といいますか、市民運動家として名を売るがための「不買の勧め」っぽくて…対する本書の指摘は、むしろジャーナリスティックで理路整然としています。
というか既に「買っては〜」が統計学を無視した数字や恣意的な論文解釈と、結論ありきで机上の空論を積み重ねた煽り文だった事は一般的に認知されてるようで…掲載してた「週刊金曜日」まで信頼性を失ったのは、ちと惜しいかも(読んだ事はなかったけど)。
個人的には当時の「買っては〜」ブームって、素直に乗れなかったんだよなぁ。
計算された「買っては〜」の標的選びとマスコミ報道の偏向、まんまと踊った軽薄な市民運動が後々の世代に何を遺したかは歴史が明らかにするでしょう。
環境ホルモンの定義も未だ不明瞭なのに言葉だけが先走り、目眩まし的に素通しされた真の危険性は自戒を込めて「90年代の負の遺産」と呼びますか…戦争気分に乗せられた昔と同じカラクリで踊っちゃうなんて、メデタイよな僕らって。
上田紀行なる文化人類学者いわく“<<商品の検証はたいへん結構なことだ。しかし相手を最初から「巨悪」と決めつけ、それに立ち向かうためには何をしてもいいという甘えが立場を超えて蔓延しているのは許しがたい。その構造意識は、実はオウムのサリン攻撃にもつながるものだ>>”…オウム的な心理状況は善良なる市民を自負する僕らにも共通してたという、なるほど辻褄が合うというか納得。
そして後半は「自治体によるアレフ転入の不受理という憲法違反」から話が始まり、昨今の(人権の暴走)への再考を促す内容です。
言うまでもなく著者はオウムの是非ではなく法治社会の権利や秩序を論じていて、育児放棄レベルの「川崎市子どもの権利に関する条例」などから子供の人権と少年法の擁護を同時に語る活動家の矛盾を衝きます。
自分たちの権利主張に熱心な余り、全体の秩序や規範とか基本原則を理解していない…歪められた人権の正当化は戦後の労組や教育の現場に始まったという、やっぱり戦後左翼を批判する話になっちゃった!笑
自らを弱者として「人権」「権利」「差別」を使えば誰も反論できない、そして肝心の小さな声が聞こえなくなるっていうね…別に左翼叩きの本じゃないんですよ、おかしい事はおかしいって言わないとどうなるかっていう話なだけで。
“何か一つに責任をすべて押し付け、団体の力に頼って「とにかく謝れ」「謝り方が足りない」といった圧力と化す運動は、個人個人が言葉にできなかった個々の苦しみを捨象してしまう可能性が常にある”
この文章は、僕がヒロシマ的と呼ぶ何かに潜む胡散臭さを言い当てているようで印象深かったです。
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【最近読んだ本】松本聡香「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」|2012.09.26
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僕は「買ってはいけない」を読んでませんけど、本書に収録された「買っては〜」側の反論を読んだ限りでは説得力ゼロですな。
内田樹のいう(借り物の信念)といいますか、市民運動家として名を売るがための「不買の勧め」っぽくて…対する本書の指摘は、むしろジャーナリスティックで理路整然としています。
というか既に「買っては〜」が統計学を無視した数字や恣意的な論文解釈と、結論ありきで机上の空論を積み重ねた煽り文だった事は一般的に認知されてるようで…掲載してた「週刊金曜日」まで信頼性を失ったのは、ちと惜しいかも(読んだ事はなかったけど)。
個人的には当時の「買っては〜」ブームって、素直に乗れなかったんだよなぁ。
計算された「買っては〜」の標的選びとマスコミ報道の偏向、まんまと踊った軽薄な市民運動が後々の世代に何を遺したかは歴史が明らかにするでしょう。
環境ホルモンの定義も未だ不明瞭なのに言葉だけが先走り、目眩まし的に素通しされた真の危険性は自戒を込めて「90年代の負の遺産」と呼びますか…戦争気分に乗せられた昔と同じカラクリで踊っちゃうなんて、メデタイよな僕らって。
上田紀行なる文化人類学者いわく“<<商品の検証はたいへん結構なことだ。しかし相手を最初から「巨悪」と決めつけ、それに立ち向かうためには何をしてもいいという甘えが立場を超えて蔓延しているのは許しがたい。その構造意識は、実はオウムのサリン攻撃にもつながるものだ>>”…オウム的な心理状況は善良なる市民を自負する僕らにも共通してたという、なるほど辻褄が合うというか納得。
そして後半は「自治体によるアレフ転入の不受理という憲法違反」から話が始まり、昨今の(人権の暴走)への再考を促す内容です。
言うまでもなく著者はオウムの是非ではなく法治社会の権利や秩序を論じていて、育児放棄レベルの「川崎市子どもの権利に関する条例」などから子供の人権と少年法の擁護を同時に語る活動家の矛盾を衝きます。
自分たちの権利主張に熱心な余り、全体の秩序や規範とか基本原則を理解していない…歪められた人権の正当化は戦後の労組や教育の現場に始まったという、やっぱり戦後左翼を批判する話になっちゃった!笑
自らを弱者として「人権」「権利」「差別」を使えば誰も反論できない、そして肝心の小さな声が聞こえなくなるっていうね…別に左翼叩きの本じゃないんですよ、おかしい事はおかしいって言わないとどうなるかっていう話なだけで。
“何か一つに責任をすべて押し付け、団体の力に頼って「とにかく謝れ」「謝り方が足りない」といった圧力と化す運動は、個人個人が言葉にできなかった個々の苦しみを捨象してしまう可能性が常にある”
この文章は、僕がヒロシマ的と呼ぶ何かに潜む胡散臭さを言い当てているようで印象深かったです。
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| books | 2012.08.24 Friday | comments(0) | - |