おいでよ どうぶつの森
おいでよ どうぶつの森 (JUGEMレビュー »)

22世紀を目指し、カレンダーの最終日までタイムスリップしたりと相変わらず楽しんでます。
2100年のどうぶつ村は如何に?笑
紹介記事【2019.06.19】
 (JUGEMレビュー »)

こちらも「アーサー王宮廷のヤンキー」同様「トウェイン完訳コレクション」の一冊、子供の頃に読んだ童話絵本をイメージしたら大違いです。
古き良きアメリカの牧歌的なジュブナイルに見せ掛けた辛辣な社会批判は、巻末あとがきのナイスフォローを先に読む方が好いかも?
紹介記事【2019.05.22】
Ben Folds & Nick Hornby - Lonely Avenue
Ben Folds & Nick Hornby - Lonely Avenue (JUGEMレビュー »)
Ben Folds & Nick Hornby
「ハイ・フィデリティ」作者×ベン・フォールズ・ファイブ元リーダー(?)のコラボ作。
SOSとはまた異なるバカラック的ドリーミーさ+初期B.ジョエル的な吟遊ピアノ感、ヴィンテージ系シンセ&ストリングスのあしらいも絶妙。
紹介記事【2019.06.27】

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最近読んだ本
河野典生、山下洋輔「インド即興旅行」

最近では日本国内にもパワー・スポット認定箇所が増えたりして、90年代のスピリチュアル・ブーム以降の聖地巡礼も幅と裾野が拡がったようですけれども…大体インドか中近東か中南米と、以前は人によって惹かれるエリアが分かれていたように思うんですよ。
(僕は中近東か中南米だな)と昔から思っていたし、インドは先ずないわ…と今も思うんですね、不思議と。
といっても単に行く気がしないだけで興味がない訳じゃないんです、むしろ周辺の中央アジア諸国にはスピリチュアル抜きで惹かれる位なんですけれどもね。
まぁ本書に惹かれた理由は、両著者×インドの意外性でした。

初版'83年の河出文庫、山下洋輔は今や説明不要の大御所ピアニストでも当時は頭突き肘打ちフリー・ジャズの奇才として知る人ぞ知る30歳そこそこの若手だった筈…河野は詩と小説を生業としながら民族楽器を収集し、既にインドも4回目の先駆的インド中毒者。
元から旧知の間柄でもあった二人が'78年2月11日から約10日間でインド各地を回り、その道程をライブで収めた対談旅行記が本書という訳で…河野が写真撮影・アレンジメントで山下は録音機操作・採譜と、各種取材を兼ねた大陸横断というユニークな一冊です。
40年近く前は、海外渡航って割と珍しかったのよ?

個人的な思い出では、河野のバリ島やジャズをモチーフにした小説も山下の演奏やエッセイも初めて触れたのが十代の半ばで…それ以降は逆に疎遠だった両者が、まさか知り合い同士だったとは知りませんでした。
しかも二人だけで旅行してたなんて、更にインドとは…河野は分からなくもないけど、山下が?っていう。
彼はボンベイでのジャズ・フェスに出演する予定が主催者側の予算不足でキャンセルされ、河野が小説の取材とインド本の撮影で行くからと山下を誘ったそう…そこにFM局の素材録音と本書の企画も便乗し、カメラにテレコにサウンド8ミリと重装備の珍道中に!笑

先ずは東端カルカッタ、早速ボーイとチップで交渉入門編…地元の村祭りで素のインドに触れ、バラナシ便ではラヴィ・シャンカール似のカメ男(ていうか本人だし!)に遭遇。
ガンジス川では山下が野グソしたり日本人の写真家(田村仁)や身玉山の団体さんにインタビューしたりして、表紙カバーの路地ライブも決行。
アグラではタージ・マハール&鳥類保護区を観光、大ドサ民族芸能ショーをジャズ目線で分析…楽器屋セッション(演奏+値切り交渉)に続いてホテルのドンバとムージャ、ところでやたらインド人をジャズメンなどに例えてるけど誰かカーティス・メイフィールドと言ってやってよ河野にも!笑

デリーに着くや老ボーイが太鼓を叩き、レストランのピアニストはアグラでジャムったピアノ兄弟…京都外大の探検部に正体を見破られ、帰国の便では渡辺貞夫が降りた席に山下が座り周囲のボンベイ・ジャズ・フェス帰りの関係者と歓談。
かんべむさしの巻末解説によれば「インド人の貿易商は華僑よりもえげつない」そうで、三島由紀夫も「人それぞれに行く時期が必ず自然に訪れる」というインド…現地で聞いた音楽を山下が譜面に起こすなど帰国後も手間隙かけて出版に至った“史上類のないライヴ・ブック”で僕は満足ですけどね、いや続編というかシリーズ化してほしかったな!

両著者の会話やインタビュー、移動中の実況は自分も同行したかのようなリアルさです…その合間に状況説明があり、旅の最中は不明だった事柄も補足されているので分かりやすいです。
山下の付き人を装う河野と河野を大作家に仕立てる山下の、インド用アドリブ交渉術は印象深いな…それと「部屋で一服」って、さりげなくキメてますね?笑
ちなみに身玉山一行の現地ガイドはチャダの実兄だそう、それとチャンドニ・チョウクってオールド・デリーの通りの名前だったのか…ゾロアスター教はパーシー教とも言うそうで、ペルシャ系の多いボンベイでは割と信徒がいるのだそう。
河野典生、山下洋輔「インド即興旅行」(←左クリックで拡大表示されます)


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以下、個人的メモ
“河野 (略)北部はサンスクリット語系のベンガル族、ヒンドゥ語だけど、南部はドラヴィダ語系のタミル語とかカナタカ語とか、ハイデラバードじゃ、イスラム教徒だけウルドゥ語使ってたりするけども、南部民族主義というのは、はっきりあるみたいだな。首都デリーのある北部よりは貧富の差が少ないしね。騎馬民族の流れこんだ北部とちがって、もともと農耕民族のせいか、ギスギスしていない。のんびりした金持ち旅行なら南部はいいみたいだぜ。”(p.15〜16)

“河野 だめなら、もともと。そういうところは多分にある。しかし、西洋人というのはそういうのには、きびしいよね。鬼のような顔をして、自分の決めた額をパッと払い後はそっぽをむいちゃったりする。だからそれに比べると、われわれ日本人は、彼らにとっては非常に親しみが持てる民族じゃないかな。(略)バカにしているかどうかは紙一重だな。向こうに押し切られちゃって、後でインド人というやつは……、なんていう連中が多いからね。しかし、まぁ、ああいうタイプの観光地型インド人というのも、本当にこすっからそうに見えるけれども、さんざん言い合った結果、ひとつの妥結を見ると、後はにこにこしている。そこが面白いところなんだ”(p.23〜24)

“河野 祭りだから、みんなきれいなサリーを着ているし、目の回りに黒いくま取りをしている。子供はみんな、あれをやってる。宗教的な理由もあるけど、あれはサングラスと同じだそうだ。
山下 (略)あの子が一分ぐらい微動だにしない。ピッと手の格好から顔つきから全部きまってるんですね。あれは仏陀の顔でしょうね、じっとカメラを見て笑っている、口の端を上に上げて……。
河野 あれは踊りの一つのパターンなんだ。喜びとか嫉妬とか、いろんな表情のパターンがある。”(p.43)

“山下 カーストと言えば、バラモン(ブラーマン)、クシャトリヤ、ヴァイシャそれにシュードラか。その四つが、さらに細分化されていると考えればいいのかな?
河野 ほんとうは、その四つはヴァルナというんだよね、司祭の階級、武士階級、商人というか庶民の階級――。農業牧畜はその庶民階級ヴァイシャに、ヒンドゥ法典じゃふくむとされてるんだけれど、じっさいは、その下のシュードラ(労働者・隷属民)にふくまれてるみたいだ。さらに、その四つからも外れた不可触民ハリジャン(神の子)があって、その五つがヴァルナ。じつはヴァルナっていうのは、元ポルトガル語で、色という意味なんだよ。つまり皮膚の色。(略)結局、身分とか階級とかの大きな枠組の意味で、ヴァルナが使われてるわけなんだけど、細かい血統とか家柄とかがカースト、またはジャーティというんだ。つまり「生まれ」なんだよね。ヴァルナとジャーティは重なり合っているから、結局、カースト制度と言えば、その両方を意味するわけだ。そのジャーティ、つまり生まれながらの家柄というのは二千いくつかあるらしい。”(p.51〜52)

“つまり分業というか職業の世襲制なんだよ。(略)まず衣類とか食器とか、刃物とか大量生産の工業製品が使われ、どんどん都会から流れ込んでくる。それで、銅の食器とか土の水がめを作る連中が職を奪われて行く。子供たちは転業せざるを得なくなって都会へ流れ出て行く。もうカーストは保護してくれない。保護する余裕のあるやつがいないわけだよね(略)年寄りは、いまさら転業出来ないから、食器とか手織りのサリーとか、村で細々と作っているわけだけれども、それは、もう、たとえば、われわれが見ると、すごい製品なんだよね。そいつに目をつけた町から来た商売人が、生活の苦しいのにつけこんで、めちゃくちゃに、たたいて買って行く。それで外人相手に、ものすごく高く売りつけたりしているらしい。(略)近代化が、カースト(の本来かくあるべき姿)をぶちこわし、モラルもぶちこわしてしまうと”(p.53〜54)

“山下 きのうの祭りで、とうとう最後にはたたき出されたとおっしゃっていたけれども、どういうことだったんですか。
田村 結局、やはりよくヒンドゥのお祭りへ行きますと、異教徒だということであるんですよ。(略)そうでなくても異教徒が入ってくること自体、ご利益がなくなると言った、あれがあるんじゃないかしら。
山下 やはり、浄、不浄の問題なんですね。異教徒が入ると穢れるという。
(略)
山下 きのうは、異教徒にも赤い粉をぶつけてましたよね。ぼくらもぶつけられて顔中まっ赤になっちゃって。あれはいいのかな。
田村 あれをつけられるということは、一つの歓迎のしるしでしょうね。たがいの幸運を祈り合うわけですから。
河野 ホーリー祭りだと赤い水ですね。
山下 しかし、カメラマンは、そういう奥深いところへ入っていくのが商売だから、最後のところじゃ対決があるだろうな。
河野 対決する写真と、何でもカメラを向けてみるという写真があるわけでしょう。前にプロの若い写真家と、インドからネパールを歩いたことがありましてね。こっちが素人の強みで、仕上がりなどは気にしないで、何でもレンズを向けていると、うらやましがられたことがあるんです。むろん冗談半分ですけどね。もう一度アマチュアに帰りたいと。(笑)”(p.100〜101)

“善意の人が常にどこか物悲しそうなのは、その行為に何らの邪心もふくまれず、祈りの延長線上にあるためか。”(p.104)

“山下 (略)いろいろな曲によって、適当に手を抜いて伴奏したりしている。ところが一瞬、本気になるときがあるんですよ。ミュージシャン同士がバッと顔を見合わせるか聞き合うかして、体が一緒にサッとゆれる瞬間が、けっこう何度もあるんです。ミュージシャン同士だけが知っている秘密の回路というのが、チラッと見えるような時が。(略)一種、底力というのはありましたね。連中はジプシーということはないですね。
河野 いや、あれはそうじゃない。デカン高原の方へ行くと焼畑農業なんかで山を移動している種族とか、ジプシーとインド人も呼んだりする少数民族がいてね。ものすごい銀の大きな重い耳飾り、首飾り、腕輪、いっぱいぶら下げていたりする。だいたいジプシーというのは、インドのカシミールあたりの種族がヨーロッパまで流れたやつなんだね。イラン、ハンガリー、フランスとたどってスペインまで行った。だからフラメンコ・ダンスとインド舞踊は非常に似たところがあるでしょう。”(p.134〜135)

“河野 日本で、観光地から車で一時間か一時間半のあたりに、こんな広い沼沢地があると、あっという間に埋め立てて、何か作っちまうぜ。何とかランドとか。”(p.139)

“河野 しかし、彼らみたいに近代的企業に勤めて、いわゆる西洋風の生活をする。安物でも腕時計をはめて、こちらのカメラとか時計を、ちょっと物悲しそうな眼で盗み見る。そういう連中がいて、一方、さっきのような農家の連中がいる。彼らは、ぜんぜん、そんな態度はとらないんだな。はるか昔から、まさに紀元前から同じ生活を、続けてるからな。布をぐるっと巻きつけたやつを身にまとってね。(略)民芸品を着た民芸品の人間が歩いておるということなんだな。
山下 どう考えても安物じゃないわけだ。(略)人間国宝が、もう雲霞のごとくいるというわけですな。(笑)実に貴重な……。確かにみんな、その道では一流という顔をしてますものね。牛飼いは牛飼いで一流だし……。”(p.142〜143)

“河野 つまり、カプセルに入って、常にサンクチュアリだけを渡り歩いている旅行者ですな。もっとも日本のあのハッピを着た人たち。あの人たちは、バスの中だろうがどこだろうが、自分たちのいる場所がサンクチュアリであるという、あれもまたすごい。(笑)”(p.143〜144)

“河野 死期が近付いた老人なんかで、もうガートの一角に横たわって、じっと待機していたりする場合があるよ。少量の食料が置かれていて、線香が立っていてね。(死期を待つ老人だけの宿もある)”(p.87)

“河野 ヒンドゥの思想では、一番典型的なというか完全な人間の生き方というのが、最初、青年期(梵行期)、これが子供の時代、それから家長期、これが結婚して家族を育てる時期、三番目が林棲期で隠遁生活、最後が修道期で、世を捨てて、祈りと瞑想ざんまいの暮しで生涯を終える。この四つをやれば完全だというんだよね。(略)しかし、じっさいはさ、そう理想的にはゆかないんだよな。青年期も、少ししかなくて家長期に入り、一生、働き続けなきゃならない。しかしさ、おれは何か、そういう連中はさ、同時に、生涯、修道期を送っているような気もするんだよな。日ごと夜ごと働きながら、瞑想し、祈ってる。あのオープン・エアー・トイレの人たちはさ。
山下 そうか。キリストも釈迦も、オープン・エアーで、しゃがんでいたにちがいない。(笑)
河野 山下もバラナシの砂の上でやった。(笑)”(p.146〜147)

“山下 タイミングが悪かったのかな。ついに、こちらが引き返して、十五ルピーで買う羽目になりましたがね。あれはミニクかったな。(笑)うーむ、まさに修行の場であり、人の道であり、あらゆることを計られる場ですね、あの売買というものは。
河野 相手の人格、風体、態度、すべてを鋭く観察しながら金額をはじき出す。あんたとおれとの対決ならば、あんたはこれだけ払うべきだ。これ以下じゃ来世はネズミだ。いや、ここで妥結しなきゃ、おまえコンドルだ。いや、おまえこそミミズだ。(略)武士の戦いにも似ている。闘い終って妥結すれば、あとくされはない。大勝負の後は反省会などやって、三日前の勝負はこうだったが、あの勝負はこうだったとか、いまごろ、親、子、孫、イトコ、大伯父その他、カバン・カースト一堂に会して戦いのソーカツをやってるんじゃないかな。(笑)”(p.160)

“河野 (略)拝火教徒がインドにもいて、ペルシャ系の多いボンベイあたりには(略)死んだらはこんで行く所があるのね。(マラバール丘にある『沈黙の塔』)それは鳥に食べてもらうわけ。(略)鳥と一緒に空に舞い上がって、天国に行くんだな、拝火教徒は。
山下 これは戒律はきびしいんですか。
河野 うーん、一般的な意味では、そうきびしくないみたいだな。(西欧化に対してもタブーは少ない)(略)彼女、イラニーというんだけど、(拝火教徒に多いペルシャ系の苗字だそうだ)(略)ゾロアスター、(パーシー教ともいう)の話を、さりげなく遠まわしに言ってたけど、彼女も鳥に食われるわけだね。死んだときには。(略)鳥葬場中央に井戸があって、その中に落されると(空気、水、土、火を汚さないよう分解されて後)地下水道からアラビア海まで流れるそうだ。(略)
山下 たしか、ネパールか、どっかにもあったんじゃないですか、鳥葬は。
河野 ああ、あれはラマ教だ。ラマ教は生まれ月とか死んだ年とか、色々コヨミみたいな一ラン表(原文ママ)があってね。それで調べて(略)全部葬式のしかたが違ってくるのね。川に流すのもあるし、火葬にするのもある、土葬にするのもある。その中に一つ鳥葬というのがある。ネパール奥地の一角、ヒマラヤの中腹あたりに住んでる連中だけど。(略)コヨミによるんで、ランクづけをしているというわけじゃないらしい。ただ、鳥葬が一番いい葬式らしい。死んだ時に、色々遺族からきいて、その僧侶がおもむろに絵入りのコヨミをひろげて、これで行なうと指さした葬式になるわけだね。”(p.177〜180)

“河野 (略)しかし、本当に生まれ変りみたいのが、いっぱいいるな。さっき、車のそばをとことこ歩いてた、イノシシみたいなブタだってね、やっぱりどっかで会った様な顔してたし。(略)朝いた犬も一緒に列に並んでたな。皆が真鍮の入れ物もって、並んでいるその間に自分も同じように並んで待っていたな。野良犬のくせにね。あれもやっぱり、昔の習慣で、つい並んでしまったんじゃないか。(略)記憶がどっかにのこっていて。(笑)くれるわけじゃないのに並んでるもんな。こぼれたのをなめに行くわけでもないしね。あの犬も、いかにも人間という顔をしてたな。”(p.181)

“河野 あの染料はすごくいい色だけど、同じ色のがあったかい。
山下 同じのかどうかよくわからないんですが、混ぜてあの色を出すらしいんですよ。だからオレンジと紫と茶色かな、その三種類を(略)パックを四分の一計り売りにしろと言って、持ってきた。それもほんのちょっとずつで、全部で七十いくら払った。うちでちょっとやってみたい。シャツ全部染めちゃったりして。(略)ええ。もうほんの一握りで色が出るんですって。だから白いのに薄く地に色がつくくらいのが欲しいんですよ。(山下はオリジナル・デザインのシャツ風演奏着を使う)演奏用のをいつも薄い茶色に染めてるんです。”(p.201)

“河野 それは売るという字を買うと書くんだ。やっぱり商買。くだらんゴロ合わせだな。(笑)しかし、商売の基本はやっぱり一対一の対決でなくちゃな。製品をつぎつぎ、転がして利ザヤをかせぐなんていうのは、本当に商売のモラルに反しますよ。それに定価がないというのは正しいことなんだ。大金持ちなら、一万円は鼻紙だろうけど、そこらの人はひと月暮せる。裸足の人なら一年以上だ。
(略)
山下 しかし、考えてみたら、われわれの商売だってそうですよ。もともと値段がないんだし、しかも、現地直送でしょう。自分が現地というか産地なんだから。
河野 それで場合によって、やけに値段が違うわけだなあ。
山下 違うんだなあ。友達に頼まれると安かったりなんかしてね。そして知らない人が急に尊大に買いに来るとものすごく高くなったりして。同じだな。イヤなら、イヤだって言えるわけだしね。それじゃできませんというと、向こうは、戸口まで帰りかけるわけだ。(笑)そうするとこっちはちょっとやってみようかななんて声かけて、すると向こうもおもむろに戸口から引き返して来て値段が決まる。(笑)”(p.201〜202)

“河野 しかし、あの雑踏の中でしばらく過していて感じていたけど、あの紀元前の人たち、(略)まさに次元の違う幻の世界のように、こっちには見える。当然、彼らの側からも、きっと幻のように、こっちが見えている。これは、もう間違いないことだな。
山下 まったく関心がないんですね。
河野 関心があれば、靴をはくとか、それくらいは、何か、やりはじめるにちがいないけど。(笑)
山下 火を発見して煉瓦を焼くことをおぼえて、「しめた」と、「これでいい」と。(笑)
(略)
山下 何でそういう話が出て来たか考えてみると、ホテルの窓の外が真の闇で、電気なんかないけど、人はちゃんと住んでいる。結局、人間の生活に、どうしても必要な文明は何だろうということだった。
河野 電気はいらないけれど。火は要るだろう。家を作るための煉瓦とか、銅とか鉄とかを作る技術は要る。
山下 それを、ことごとく発明発見した連中が「もう、これでいいのだ」と突然、思った。(略)以後二千年変らずですか。(笑)当然、いい顔をしているわけだ。昨日今日のヒッピーなんかじゃないもの。(略)で、森の中に住みついて、家を造る煉瓦を焼くために、森の樹を全部、切っちゃったんでしょう。それで砂漠になった。(略)それで燃す物がなくなったところへ、牛の糞が燃えるぞと大発見をやったわけですね。よし、これでいいと。それで二千年経ったわけだな。(笑)
河野 モヘンジョ・ダロからじゃ、約四千年だぜ。とにかく文明が早く発達しすぎたんだな。”(p.208〜211)

“山下 バクシーシって言えば、女乞食もついて来ましたね。
河野 ああ。「ノー・ママ。ノー・パパ」って悲しそうなメロディつきで、繰り返していた。
山下 しかし、もう立派なお婆さんで、ノー・ママ、ノー・パパは当たり前だし、ちっともかわいそうじゃないよ。(笑)
河野 結局、ヨチヨチ歩きの子供のときから、ずっと同じことを言って、やって来たせいじゃないかな?”(p.237)

“河野 エリントンが、はじめてイギリスに渡って演奏したときにさ、トランペットがワウワウなんかやるのを、コミックだと思ってお客が笑ったりするわけよ。それで、ちょっと、くさってるところへ、バッキンガム宮殿から使いが来て、プリンス・オヴ・ウェールズ、時の皇太子がさ、ぜひ宮殿でやってくれと言ってるというわけなんだ。皇太子は、すごいジャズ・ファンでね。即位してから、離婚歴のあるアメリカ人、シンプソン夫人と恋愛して、結局、王位を捨てたくらいだから、すごい、モダンな男だったんだな。
山下 ジャズ好きの末路は、だいたい、そういうことなんだ。(笑)
河野 結局、弟に王位を譲って、その娘が一番、いまのエリザベス女王なんだな。
山下 そうか。ひとりのジャズ狂いがいなけりゃ、いまの女王は存在しないわけだ。(笑)”(p.242)

“河野 ああ、あの向こうはオリジナル、オールド・デリーのさらに奥というか、ダウン・タウン。ここが、つまり昔のデリーでは銀座だから。
山下 ああ、そうか。ニュー・デリーはイギリスが造ったわけですからね。
河野 そうなんだ。あんな街は趣味に合わんというので、隣りに、どかんと、自分たちの好み街を造ったわけだ。”(p.253)

“河野 肩組んでたり手をにぎって歩いてたりするのが、よくいるよ。
山下 いいわけですかね、インドでは。別に禁じてないんでしょうかね。
河野 禁じてはいないようだな。ヒンドゥの神々というのは、両性具有のイメージがあってね。男になったり、女になったりする。カーストのせいで、なかなか適当な結婚相手がみつからず、ホモが多くなるという説を聞いたことがあるな。カーストの上の方へ行けば行くほど、そういう傾向が強いってね。
山下 そういえばトルコ人の話を聞いたことがある。そういう気になったとき女が近くにいなかったら、近くの友だちで間に合わせていいという習慣があるそうだ。(笑)”(p.257)

“インド人の宗教構成は、ヒンドゥ教八十三%、イスラム教十一%、キリスト教二・六%、シーク教一・八%、仏教〇・七%、ジャイナ教〇・五%なのだが、シークはイスラムに対抗する信徒皆兵制からはじまり、カーストはなく、牛を除く肉食を奨励しているので、軍人、スポーツ選手、運転手等に多く、ターバン姿=インド人のイメージを作った”(p.266)

“河野 まあ、非常に紳士的な相手で、紳士的に解決したわけだ。インドは文書の国だからな。少なくとも、こういうビジネスでは、われわれの旅行に関するものだけで、ガサッとすごくぶ厚いファイルを出して来たじゃない。
山下 全部ファイルして、タイプは全部コピーを取り、ヨーロッパ風のきちんとした契約なんですね。
河野 それが郵便事情ひとつでガタガタになるところが面白い。(笑)ちょっと、ちがった話になるけど、ファイルとか証拠を、とにかく出せというのは、日本を離れると、どこでも、そうだね。作家だというと、いま、本を持っておるか、と言われたことがあるよ。やや疑わしげに南インドで。(笑)こっちは、とても作家という風体じゃないから、ま、銀座なんかの知らない店でも、同じ目には合いますがね。(笑)まあ、ぼくらは、外国での仕事は、あまりないけど、ミュージシャンなんかは、みんなそうでしょう。いままでの仕事についての批評とか、プログラムとか新聞記事とか何もかもファイルしたやつを持ち歩くでしょう。
山下 そうです。普通マネージャーとかエイジェントがそれをきちんとやるわけですね。”(p.275)

“山下 (略)日本のピアニストがアショカ・ホテルへ二十三日来ますという。名前を聞いたらウーンと考えているので、サダオ・ワタナベかと言ったら、そうだそうだワタナベだと。ワタナベならサックスだろ、彼なら友だちだといった。彼が、その晩行くというので、何か、メッセージを残して行こうと思って、サダオさんへと書いたんだけど、後が続かない。一足お先にとかいろいろ書こうと思ったけれども、結局、気のきいたことが思い浮かばずハローと言ってくれと言っておいた。
河野 ちょうど一足違いなんだな。
山下 サダオさんもいろいろと現地の人間とのセッションをやるといいな。おそらくやっていると思うけど。ジャズ畑ばっかりじゃなくて、楽器屋とか、笛吹きなんかとね。もっとも、あの人はアフリカの村へ一人で入って行って吹いちゃった人だから、おそらくどこへ行ったってやるだろうな。
河野 インドの西と北であっちこっち、同時に荒しまわってるんじゃないか。(笑)”(p.281)

“河野 籐製品もすごいね。ああいう細かい細工を、紀元前の人たちがつくるんだものな。一方、工場で安っぽいプラスチックつくってる連中が、ネクタイ締めてズボンはいて歩いているわけだよ。きょうのサロッド奏者も、革を胴に張った、じつに不可思議な楽器であんなすごい音を出す。
山下 特に太鼓に関しては、ものすごくデリケートに発達してますね。感性が。太鼓をたたくあの手つきと言ったら、もうあらゆるところを使うでしょう。こぶしも使うし、掌のはじを使うし、掌全体を使うし、指を使うし、それからこすりますしね。(略)色々な楽器を手でこするというのが現代音楽的な発想にありますが、よく考えてみたら当たり前なんだよ。紀元前からそれはもう、みんなやっていたわけだ。ただ音楽をあっち(西洋音楽)からばっかり見ていたものだから……。
河野 ピアノに手を突っ込んで弦は弾っぱる(原文ママ)とか、現代音楽の連中が発見したと思っている。”(p.304)

“9PM過ぎフライト。山下、近くの連中にジャズ祭りの様子を聞く。ワタナベ・グループは大拍手だったが、西ドイツの前衛ジャズ・ピアニスト、シュリッペンバッハが、指で直接、弦を弾くと、失笑がひろがったという。「うーん、やっぱり行かなくてよかったようだな」と山下は笑う。”(p.328)

“主人が、カーストに、こだわらなくても、使用人がヒンドゥなら同じことなのだ。(中流の上ぐらいの家庭でも、労働階級に属する運転手、コック兼給仕人、子守り、洗濯人、庭師、門番そしてハリジャンに属する掃除人、さらに便所用スイーパーに平等に職を与えなければならない)”(p.320)

“山下 クリスチャンが金持ちでなければならんということはないけれども、ここにいる人たちは、みんな金持ちですね。昔の大名がクリスチャンになったのと同じようなケースなんじゃないですか。
河野 プロテスタントには、そういう傾向があるかも知れないな。南の方に多いカトリックは、農民なんか非常に多くて、日本の隠れキリシタンじゃないけれども、一世紀にシリアから入ったギリシャ正教系も強い(調べてみるとむしろ優勢)。カトリックは、イギリス以前、ポルトガルとかフランスの宣教師に布教されたやつだよね。クリスチャンになった方がカーストから解放されるということもある。ま、完全な解放は無理だけど。南インドにマリアの像が至るところに飾ってあるタイル工場があって、社長もクリスチャン、働いている連中もクリスチャンが多いと言っていたな。あれはケララ州。いまは共産州だけれど。そのことと関連があるのか、どうか。
山下 あそこに一段と黒い連中がいるけれども、一見、みすぼらしい。あれもやっぱりクリスチャンなのかな。
河野 会場の飾りつけやった連中じゃないかな。ディスプレイ屋だ。つまり、昔の筒井康隆だよ。
山下 こんな所に出るとは!(笑)筒井さんは彼らを使ってたわけでしょう。職人との間に立って苦労したというのは読んだ。”(p.321)
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