最近読んだ本
藤原章生「絵はがきにされた少年」
この書題を見た瞬間、思わず「蝋人形の館」の名台詞がデーモン小暮閣下の声で再現されました…もちろん脳内でね、まぁ今では知らない世代も多そうだけど。
「オマエも絵はがきにしてやろうか!?」
いやネタじゃないっす、読み終えるまで表紙を見る度この幻聴が脳内再生されました…でも本書は、元・毎日新聞記者がアフリカ特派員時代のエピソードを綴った第3回開高健ノンフィクション賞受賞作なんです。
僕だけかもしれませんが、どうも「アフリカ」という単語には常に何かしら紋切り型のフレーズがセットになってしまう気がします。
はがしても、剥がしても。
飢餓?貧困?搾取?虐殺?内戦?大自然?野生動物?砂漠?金鉱?ダイヤ?
まぁ「南米」とか「東南アジア」であっても様々な象徴はありますし、逆に日本人も海外からは未だに「出っ歯」「アーモンド・アイ」「ハイテク」「ハラキリ」といった先入観を持たれてたりするんでしょうが。
それでも特にサハラ以南の、いわゆるブラック・アフリカは地理的な遠さもあり(焦点の定まりにくい地域)といった印象が僕にはあります…例えば有名な報道写真「ハゲワシと少女」の真実や、著者が十代で体験した募金のエピソードに垣間見える(実体不明な罪悪感)とも無縁ではないような。
というか「ハゲワシと〜」に関しては、馬鹿げた批判に対して天下の「ニューヨーク・タイムズ」がウソで取り繕った事も興味深いですな…“状況や暴力について陳腐な意見を聞くと、俺の脳はシャッターを下ろしてしまうんだ”と地元紙に語った撮影者は結局、何も知らずに偽善を叫ぶ声に殺されてしまったのだけど。
と、若干ヘビーな話から始まりますが表題その他のエピソードは割と穏やかめです…といっても笑える話はないですし、無知と貧困は語る以前の大前提という。
まぁ西欧人がアフリカに責任を感じるのは分かりますけど、そこに生きてるのはその土地の人々な訳です。
身近というには遠すぎて、そのボヤけた輪郭に何かを連想してしまうのかな…そもそもアフリカ人は1つじゃなく無数の部族があるし同じ種族でも差別対象を呼び分けていて、白人(ブランコ)と黒人の子はムラートでムラートと白人の子はカブリートでと混血にも無数に呼び名があるそうで。
平和な時は肌の色が白に近いほど信頼と優遇を得る代わり、暴動になると今度は白いほど憎悪の対象になってしまう…肌が黒い部族ほど他の部族から蔑まれる共通認識は、やはり白人の優位性から生じたのかなぁ。
(助けたい!)ってのとは違うけど、でも何かもどかしく感じてしまうのは何故?
かつての白人政権が従属しない黒人を無力化するため、ダウナー系ドラッグを開発し無料でバラ蒔いた話は国家の本質を見る思いがしました…しかも「インド人の横流し品」という噂も一緒に流してたそうで、狡猾な情報操作術といい他岸の火事と思ってられません。
そしてアウトブレイクの村の、冗談みたいな情報格差ね…発生源のエキスパートに一切フィードバックがない事にも、搾取に通じる一方通行さを感じました。
マントル対流の影響を受けないほど安定している南アの鉱床は地下深度3〜4千mの坑内堀りが可能なのだとか、でも所詮は人件費の安さで成立してるのね。笑
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→〈アフリカ〉関連記事
以下は個人的メモ
この書題を見た瞬間、思わず「蝋人形の館」の名台詞がデーモン小暮閣下の声で再現されました…もちろん脳内でね、まぁ今では知らない世代も多そうだけど。
「オマエも絵はがきにしてやろうか!?」
いやネタじゃないっす、読み終えるまで表紙を見る度この幻聴が脳内再生されました…でも本書は、元・毎日新聞記者がアフリカ特派員時代のエピソードを綴った第3回開高健ノンフィクション賞受賞作なんです。
僕だけかもしれませんが、どうも「アフリカ」という単語には常に何かしら紋切り型のフレーズがセットになってしまう気がします。
はがしても、剥がしても。
飢餓?貧困?搾取?虐殺?内戦?大自然?野生動物?砂漠?金鉱?ダイヤ?
まぁ「南米」とか「東南アジア」であっても様々な象徴はありますし、逆に日本人も海外からは未だに「出っ歯」「アーモンド・アイ」「ハイテク」「ハラキリ」といった先入観を持たれてたりするんでしょうが。
それでも特にサハラ以南の、いわゆるブラック・アフリカは地理的な遠さもあり(焦点の定まりにくい地域)といった印象が僕にはあります…例えば有名な報道写真「ハゲワシと少女」の真実や、著者が十代で体験した募金のエピソードに垣間見える(実体不明な罪悪感)とも無縁ではないような。
というか「ハゲワシと〜」に関しては、馬鹿げた批判に対して天下の「ニューヨーク・タイムズ」がウソで取り繕った事も興味深いですな…“状況や暴力について陳腐な意見を聞くと、俺の脳はシャッターを下ろしてしまうんだ”と地元紙に語った撮影者は結局、何も知らずに偽善を叫ぶ声に殺されてしまったのだけど。
と、若干ヘビーな話から始まりますが表題その他のエピソードは割と穏やかめです…といっても笑える話はないですし、無知と貧困は語る以前の大前提という。
まぁ西欧人がアフリカに責任を感じるのは分かりますけど、そこに生きてるのはその土地の人々な訳です。
身近というには遠すぎて、そのボヤけた輪郭に何かを連想してしまうのかな…そもそもアフリカ人は1つじゃなく無数の部族があるし同じ種族でも差別対象を呼び分けていて、白人(ブランコ)と黒人の子はムラートでムラートと白人の子はカブリートでと混血にも無数に呼び名があるそうで。
平和な時は肌の色が白に近いほど信頼と優遇を得る代わり、暴動になると今度は白いほど憎悪の対象になってしまう…肌が黒い部族ほど他の部族から蔑まれる共通認識は、やはり白人の優位性から生じたのかなぁ。
(助けたい!)ってのとは違うけど、でも何かもどかしく感じてしまうのは何故?
かつての白人政権が従属しない黒人を無力化するため、ダウナー系ドラッグを開発し無料でバラ蒔いた話は国家の本質を見る思いがしました…しかも「インド人の横流し品」という噂も一緒に流してたそうで、狡猾な情報操作術といい他岸の火事と思ってられません。
そしてアウトブレイクの村の、冗談みたいな情報格差ね…発生源のエキスパートに一切フィードバックがない事にも、搾取に通じる一方通行さを感じました。
マントル対流の影響を受けないほど安定している南アの鉱床は地下深度3〜4千mの坑内堀りが可能なのだとか、でも所詮は人件費の安さで成立してるのね。笑
関連あるかもしれない記事:
【最近みたDVD】「第9地区」| 2013.12.10
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以下は個人的メモ
“やっかいなのは、はっきりと言い切れないことに、意味づけを求める人が結構いることだ(中略)「ここにも一つのアフリカの悲劇、がある」「民族の不幸は終わらない」「虐げられた者たちの叫びが、そこにあった」「アパルトヘイト、人種差別の残滓」「貧困の中にも輝く笑顔が」……。そんな余計な一句ばかりでなく、「苦渋の表情を見せた」「力んだ」「怒りを隠さない」……と表現を書き換えるだけで、すべてが嘘になる”(p.104)
“好奇心旺盛であちこち見て回れば物の見方も豊かになり、お金も儲かるかもしれませんが、旅行をするにはお金がいる。でも、そうでなければ、お金など大して使わずに暮らしていける。私が子供のころは、お金なんて、ないも同然でしたから”(p.112)
“日本でも昔、一ヵ所の鉱山にじっとしておらず各地を転々とする鉱夫を「渡り鉱夫」と呼んだ(中略)巻紙には以前働いた鉱山の親方をはじめ複数の鉱夫が、彼の仕事ぶりや、所業を墨でしたため、それぞれの氏名と出身地とともに、血判が押されるのが常だった。渡り鉱夫はこの血判がずらっと並ぶ巻紙一枚を手に、各地の鉱山の門をたたき、職を手にしたそうだ”(p.121)
“外国人のいるところには、必ず金目のものがある。アフリカでは、特に長年内戦を続けるアンゴラのような国ではそれが露骨に表れる。膨大な油田が見つかった沖合いでは米英系のメジャーが開発を手がけている。内戦といいながら、アンゴラへの海外からの投資額はアフリカの中でナイジェリアにつぎ第二位である。油田があるからだ”
“冷戦時代、旧ソ連とキューバがともに肩入れしたアンゴラ政府に、米国の退役軍人らが興した傭兵会社(安全保障会社)が居座っている”
“石油より手っ取り早く外貨を稼げるのがダイヤモンドだ。沿岸部にあるダイヤ鉱山は一応、英国系の企業がおさえてはいるが、産出量は知れている。この国の大半のダイヤは(中略)内陸、ゲリラの多い地でとれる”(p.140)
“こう、何か違うんです。例えば、ペットボトル、水の入ったペットボトル。それをみな必ず持っているでしょ。腰につけたり、手に持っていたり。ここの人間はそんなこと絶対にしないのに。そういう姿を見ると、何だか急に、声をかけられなくなるんです。ああ、やっぱり違うんだって、思うんです。自分は似たような顔をしているけど、結局違うんだって気づくというのか”(p.144)
“ダイヤモンドの発見。それは、たかだか百四十年ほど前の話に過ぎない(中略)南アフリカのキンバリー近郊でダイヤの原石が見つかった。ホープタウンと呼ばれる町の近く、オレンジ川で寝そべっていた十五歳の少年が見つけたのだ(中略)家に帰ると少年はもう何カ月も髪も洗っていない妹にその石を与えてしまった。その妹がある日、石蹴り遊びをしていると、近所のおじさんがその石を目にし、そしてもう少し石に詳しいおじさんへと渡り、ついにロンドンまで運ばれ、ほどなく英国人が大挙してやってくる(中略)ダイヤ発見とともに最果ての地は大英帝国の収奪の場になり変わった”(p.151)
“黒人はダイヤを盗む。でも、混血は信用できる。ここには昔からそんな不文律がある(中略)そして原石を実際に国の外に持ち出すのは古くからレバノン、インド人が主流だ。そして、それを研磨、管理するのは主にユダヤ人だ”
“コンゴでもシエラレオネでもアンゴラと同じく、ダイヤが内戦を、本来なら早々に金がなくなり終わっているはずの戦争の延命を手伝っている”
“一方で、紛争に関わるダイヤを買うなと叫び続ける人々もある。だが、紛争地でダイヤは掘られ、それは「混血」の比較的信用されやすい人々の手を介してレバノン人らに渡り、アントワープなど欧州のダイヤモンド集積地に流れ、最終的に、大半はデビアスの手元に入り込むシステムが連綿とできあがっている”(p.154)
“一八六七年に南ア中部のキンバリーで見つかったダイヤモンドの鉱区を原住民に分け与えないよう、意図的に作られた「鉱山法」が人種差別法の原点といえる(中略)英王室や英国政府、ロンドンの金融街がまだ興味を示さなかったころから、デビアスの創業者、セシル・ローズをはじめとする野心に満ちた英国人が、資源を探り、掘り出す事業をはじめようと、ひとりでアフリカに乗り込んでいった”(p.162)
“一九五九年。この年は奇しくもアフリカのルワンダで「二級市民のフツによる革命」が起きた年と重なる。ただ、長く米国の裏庭、行楽地だったカリブ海のキューバで起きた革命と、アフリカの旧ベルギー領のそれでは、衝撃度に大きな差がある。そのせいか、この一九五九年に起きた二つの「革命」、特権層の追放劇をあえて比較する人などほとんどいなかった”(p.186)
“ゲバラは革命政権樹立後、キューバで工業大臣を務め砂糖の増産を目指すが(中略)早々に工業相のポストを放り出し、もともと好きだった旅行に身を入れるようになる(中略)ゲバラはキューバがまだ軌道に乗らない段階で、アフリカをはじめとする他の地域での「革命」を求めようとした”(p.186)
“「自分の記事にロイターなどの配信写真を勝手に添えるのは勘弁してほしい。貧しそうな子供の写真に、いかにも風の説明をつけるのは、もうやめてほしい」(中略)むずかる黒人の赤子、可哀想、救わなくちゃ……。見た人がそう思うだろうと半ば他人の心理を甘く見ているような、本来、複雑多岐にわたるはずの、それを目にする一人一人の心を侮っているように思えるからだ”(p.212)
“こうした地で報道に関わる者には、「貧困」「援助」というテーマが棘のように突き刺さっている。アフリカの人の言葉や、彼らの生活をつぶさに伝えれば伝えるほど、ひとりで完結しているような生の豊かさや孤高さを物語ることになり、「助けなくちゃ」という使命感をぼかすことになる(中略)つまり、対象についての知識がないほど、「助けなくては」というメッセージは響きやすい”(p.213)
“はっきり言って、食糧はもらいたくないんです。届いたときはみな喜び、何日間かは思いっきり食べますけど。なくなったとき、とても、空しい気持ちになるんです。私たちはこんなに働いて、トウモロコシをつくっても、結局、ただでもらったほどのものをつくれない。だから、もらうのなら、まだ肥料をもらった方がいい。乏しい収穫を前に、これをどうやって分けて、どうやって食べていこうかと思っているときに、ただの食糧が来ると、もう働く気がしなくなるのです”(p.215)
“援助には目に見えない依存関係が隠れている(中略)漠然と無数の人々への援助を考えるよりも、救うべき相手をまず知ることから始めなければならない。先進国の首脳会議などの会場を取り囲み「貧困解消、貧富の格差の是正」を叫ぶ若者たちがいる。こうしたエネルギーを見ていると、一年でいいからアフリカに行って自分の暮らしを打ち立ててみたらいいと思う。一人のアフリカ人でもいい。自分が親しくなったたった一人でいい。貧しさから人を救い出す、人を向上させるということがどれほどのことで、どれほど自分自身を傷つけることなのか、きっとわかるはずだ。一人を終えたら二人、三人といけばいい。一般論を語るのはその後でいい。いや、経験してみれば、きっと、多くを語らなくなる”(p.225)
| books | 2019.09.11 Wednesday | comments(0) | - |