最近みたDVD
「ブレイク・ビーターズ」(←リンク先はTSUTAYA作品情報)
サルサ映画に続きましてはブレイクダンス映画、といっても本作はドイツ映画なのです…製作は'14年で原題「DESSAU DANCERS」のデッサウとは旧東ドイツの地方都市名、話は冒頭で表記される“1985年 東独で米国のブレイクダンス映画――「ビート・ストリート」が公開され思わぬ事態を引き起こす”とある通り。
そんな訳なので、本作の場合は(映画内映画)手法は演出の一環ではなくストーリーの基幹に関わってます。
その映画を観てからというもの、主人公フランクは寝ても覚めてもブレイクダンス…劇場に通い詰め、仲間と路上に段ボールを敷いて練習を繰り返す毎日です。
まさにブロンクスのヒップホップ黎明期もこうだったろうと思わせる、他愛なく純粋なストリートダンスは素朴でノスタルジックな光景です…端から見れば可笑しな姿でも、気にせず夢中になる姿こそが美しい!
しかしそれもまた当局の監視網は見逃さないのですな、時代はベルリンの壁が崩壊する数年前です…ソ連のペレストロイカを契機に拡大した若者のデモ行動が東ドイツの社会主義体制を終わらせる、その予兆は既に始まっていたのでしょう。
同時多発的なストリート現象への対策に、当局はスポーツ協会所属の主人公たちを取り込み“ブレイクダンスの社会主義化”を画策。
人民警察に逮捕された主人公たちは「映画は検閲を認可された作品であり製作者ハリー・ベラフォンテは“我が国の同志”である」と主張、更には「資本主義に虐げられている貧しい者の踊り」であり“僕らは反資本主義者の団結を躍りで表現している”“労働者階級の歴史的使命”に貢献していると咄嗟にしては上出来な口実で無罪放免…斯くして政府公認のブレイクダンスならぬ“アクロバティック・ショーダンス”として全国ツアーやTV出演で“娯楽芸術”の人民芸術集団として脚光を浴びます。
もちろん恋と友情、別チームとのダンス対決や父親との和解も盛り込みつつ。
(下段に続きます)
→〈東欧〉関連記事
サルサ映画に続きましてはブレイクダンス映画、といっても本作はドイツ映画なのです…製作は'14年で原題「DESSAU DANCERS」のデッサウとは旧東ドイツの地方都市名、話は冒頭で表記される“1985年 東独で米国のブレイクダンス映画――「ビート・ストリート」が公開され思わぬ事態を引き起こす”とある通り。
そんな訳なので、本作の場合は(映画内映画)手法は演出の一環ではなくストーリーの基幹に関わってます。
その映画を観てからというもの、主人公フランクは寝ても覚めてもブレイクダンス…劇場に通い詰め、仲間と路上に段ボールを敷いて練習を繰り返す毎日です。
まさにブロンクスのヒップホップ黎明期もこうだったろうと思わせる、他愛なく純粋なストリートダンスは素朴でノスタルジックな光景です…端から見れば可笑しな姿でも、気にせず夢中になる姿こそが美しい!
しかしそれもまた当局の監視網は見逃さないのですな、時代はベルリンの壁が崩壊する数年前です…ソ連のペレストロイカを契機に拡大した若者のデモ行動が東ドイツの社会主義体制を終わらせる、その予兆は既に始まっていたのでしょう。
同時多発的なストリート現象への対策に、当局はスポーツ協会所属の主人公たちを取り込み“ブレイクダンスの社会主義化”を画策。
人民警察に逮捕された主人公たちは「映画は検閲を認可された作品であり製作者ハリー・ベラフォンテは“我が国の同志”である」と主張、更には「資本主義に虐げられている貧しい者の踊り」であり“僕らは反資本主義者の団結を躍りで表現している”“労働者階級の歴史的使命”に貢献していると咄嗟にしては上出来な口実で無罪放免…斯くして政府公認のブレイクダンスならぬ“アクロバティック・ショーダンス”として全国ツアーやTV出演で“娯楽芸術”の人民芸術集団として脚光を浴びます。
もちろん恋と友情、別チームとのダンス対決や父親との和解も盛り込みつつ。
(下段に続きます)
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だけどやっぱり僕は社会主義体制の描写が興味深かったですね、彼らの成功をプロパガンダに利用する当局や反抗的な主人公を手懐けようと彼の父親を国家保安省(シュタージ)に別件逮捕させて脅したり…とはいえ体制側はコミカルに描かれているので恐怖は感じません、国民的番組に出演するクライマックスも傑作!
主人公たちの荒業披露に体制側は大慌て、しかし視聴者は政府公認ダンサーの壊れっぷりに拍手喝采。
人民警察の取り締まりから逃げずにパフォーマンスする姿が、どこか80年代のPVというかMTVっぽいのはネタ?…まぁ無難な構成ながら、完成度は高いです。
最後の“記録がなくたって関係ない、これは僕らのストーリーだから”からの“東独のブレイクダンサーに捧ぐ”で思わず感動しちゃいましたよ…本場ブロンクスで踊る夢は一生叶わないと諦めながら、懲罰を受けても踊る事を止めなかった彼らは東西統一を果たした後どうしたのだろうなぁ?
本来は独りずつ順番に個々のダンスでアピールするスタイルを、当局により横一列で一斉に踊らされる屈辱…でもそれはアメリカでもストリートからメディアによって拡散していく過程で起きていた訳ですし、そうした既存スタイルとの融合がブレイクダンスの幅と裾野を押し拡げたとも言えますが。
とはいえ、それは結果論であってストリート意識の強いブレイクダンサーには認め難かったよね…そういった、今となっては些細に思えるエピソードが当時のリアリティを感じさせます。
主人公フランクと紅一点マティに親友アレックス、という明確な役割がないミヒェルが最も目を引いたのはファッションのせいかな?
正直、ブレイクダンスには特に魅力を感じません…それでも身体での表現って、何か根っこを掴まれます。
当時を思わせる音楽のほとんどには意外にもジャザノヴァが関わっていて、メインで手掛けたマーク・コリンもフランスの音楽プロジェクトの中心人物だそう。
| cinema | 2019.11.02 Saturday | comments(0) | - |