ReLIFE 完結編(完全生産限定版) [DVD]
ReLIFE 完結編(完全生産限定版) [DVD] (JUGEMレビュー »)

ブラック企業で心を折られた27歳ニートが、渡りに舟と食い付いたのは人生リセット人体実験?
アニメが描く夢の世界も、時代を表しているのですなぁ。
うっかり大人目線で色々やらかすネタに笑いつつ、いつしか心を掴まれてしまいました。
紹介記事【2018.05.16】
おいでよ どうぶつの森
おいでよ どうぶつの森 (JUGEMレビュー »)

22世紀を目指し、カレンダーの最終日までタイムスリップしたりと相変わらず楽しんでます。
2100年のどうぶつ村は如何に?笑
紹介記事【2019.06.19】
エクソダスギルティー (通常版)
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異なる3つの時代の物語を切り替えながら進む、マルチタイム・ザッピングシステムのアドベンチャー・ゲームです。
資料本「ワールドガイダンス」必携、正直クセが強く微妙ですが。笑
当時流行ったであろう「小説『聖書』」やガイア仮説のSFファンタジー&サスペンス、システム的には不便ですが僕は楽しめました。
紹介記事【2018.11.05】

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最近聴いたレコード
ジョージ・ウィンストン 他「アイオワの大地に」

映画「カントリー」のサントラであり、ウィンダム・ヒル・レーベルが初めて手掛けた映画音楽集です。

'84年の作品でしたか、という事は記憶してたより早い時期にウィンダム・ヒルと出会っていたようです。
最初に「オータム」をジャケ買いして、音楽と連動した「PEACE」という風景写真集を飽きず眺めた経緯があって“音楽=ウィンダム・ヒル”と謳った映画に足を運んだのでした。

サム・シェパード&ジェシカ・ラングという、いわゆる社会派コンビの映画だけに、内容はシリアス仕立ての「大草原の小さな家」といった印象でした。
まぁ背伸びしたい年頃でしたし、もしかしたら後にドキュメンタリー系作品を好むようになる契機だったのかもしれません。

まぁ映画も観たし、ジョージ・ウィンストンも入っていて他のウィンダム・ヒル・アーティストも聴けると思って購入した本作ですが、各アーティストの個別作品をコンパイルしてるのではなく、全曲ジョージとチャールズ・グロスなるプロデューサーが書き下ろして共演しているのでした。
ともかく1曲が2〜3分というのは、ずーんと浸れそうな頃合いで曲が終わってしまうので…サントラとはいえ、非常に物足りなく感じるのですよね。

だけど秋の爽やかな日には「オータム」と並んで聴き返したくなる一枚です。
解説は筑紫哲也、録音と選曲にディズニーの名が…?



*現在、本作は入手困難となっているようですし、映画のほうも評価が芳しくないのかDVD化もされてはいないようです。
まぁそれはそれとして、ライナーの解説を全文引用させていただく事にします。
以下本文


 これはウィンダム・ヒルの『映画版』ではないか。
 映画「カントリー」を見終わってまず思い浮かんだ感想はそういうことだった。
 いや、もっと直接的に言えば、ウィンダム・ヒルのレコードジャケットの「映画版」かもしれない、とさえ思った。
 演奏、録音に始まってジャケットの隅々まで念には念を入れて作り上げることで知られるウィンダム・ヒルだが、なかでもジャケットデザイン、そこで使われる写真の美しさには定評がある。レコードとは別に写真集が出版されているくらいである。
 アイオワの大地を舞台にくり拡げられるこの映画は後述するように、どちらかといえば社会派といえる作品である。
 アメリカの農民が1980年代のいま現在直面している問題を真正面から描いている。
 ところがその画面はアメリカ中西部の自然をとらえていて美しさに充ち、作品全体が抒情的な印象を与える。
 その自然描写のカット、カットがまるでウィンダム・ヒルのジャケットを見ているかのようなのだ。観る者がそう感じるだけでなく、この映画を作る側が明らかにそれを意識したとしか思えない画面作りなのである。
 映画がこれほどに音楽に、それもあるひとつのレコードのレーベルに引き摺られるという例は珍しいのではなかろうか。
 そういうことが起きたのは、ウィンダム・ヒルの持つ音楽の特質と大いに関係があると思われる。
 この映画、そしてこのアルバムはウィンダム・ヒルが初めて映画のオリジナル・サウンドトラックを手がけた作品である。
 ウィンダム・ヒルのリーダー、ウィリアム・アッカーマンが総指揮をとり、ウィンダム・ヒルの名を世に拡めた中心的存在、ジョージ・ウィンストンが大活躍する(全13曲のうち9曲)。
 ファンならそのことだけでもこの映画を観たい、いや聴きたいと思うだろうし、私もそこに惹かれて観たのだが、同時にファンなら周知のように、ウィンダム・ヒルの音楽は総じて派手さを抑えた静けさを特徴としている。そういう特質を持った音楽が、ドラマ性を押し出さねばならない映画に向くのだろうか、という一抹の不安もある。
 事実、このアルバムをお聴きいただければわかるように、普段のウィンダム・ヒルの作品より演奏はややにぎやかな印象を与える。曲によってはオーケストラ処理がなされているし、パーカッションの使用も多目である。それでも、本アルバムのメイン曲、ハイライトというべき「オークション」は、映画でもクライマックスの場面に使用されているため、画面と台詞に気をとられていると聴き取りにくい(その代わりエンディングでまたたっぷり繰り返され、このエンディングはさながらウィンダム・ヒル観賞会の観を呈するので、この映画を観る者はエンドタイトルて早々と席を立つと損をする)。
 そういうウィンダム・ヒル音楽の特性を配慮し、計算するかのように、場面転換の各所でウィンダム・ヒルの音が流れる長めのカットが効果的に使われ、その音楽に“ジャケット的”自然描写が連動するのである。だから見方によってはウィンダム・ヒル用とさえ思える場面が出てくるのだが、それが映画にとって冗長な違和感を与えるどころか抒情的効果を高めているのは、ウィンダム・ヒル音楽の作りと、この映画の主題とが深く結び合っているからである。
 それは人間が自然とどう交き合うか、ということに要約されるのではないかと思う。
 私たちの社会は進歩と効率とを追求して突き進んできた。いまもそうである。しかし、そのことで失いつつあるものも大きい。
 自然破壊はその最たるものだが、それを何とも思わない人間と自然との関係も大いに損なわれていった。自然と切り離されて生きることを何とも思わない人間がふえ、あらゆる部分で人工的なものが支配している。
 わずかな金を出し合ってアッカーマンらがウィンダム・ヒルをささやかに創設した当初から彼らの音作りに一貫しているのは、その底に流れるエコロジスト的発想である。
 なるたけ自然に近い音色を追求し、簡潔な表現を心がけ、大地天然の美しさを描写しようとする彼らの音楽が、むしろ都市で自然との関係を断ち切られた人々によって迎えられやがて爆発的な拡がりを持つに至ったのは偶然ではない。人工的で乾いた世界のなかでオアシスを発見したかのような思いで人々はウィンダム・ヒル・サウンドに惹かれていったのである。
 ウィンダム・ヒルはしばしば環境音楽のひとつのようにとらえられがちだが、「音のインテリア」的な狭義のそれでは決してない、むしろそれを聴く人たちの環境からいえば「逆」環境の側面を持っており、普段忘れられた自然への想いをかき立てる作用を果す。
 都市に住む人間が自然とともに生きることを遮断されているのと対照的に、農村部では人々は自然とともに共生しているはずである。
 だがいまや必ずしもそうではない。そういう人と自然との関係が破壊されつつある――というのが映画「カントリー」の主題である。
 効率と利潤追求を軸に回転していく他の工業部門と違って農業は土地と天候に左右され人間がなしうる部分は限られているから、近代化からいつも取り残される。そう考えるのが常識だろう。ところが、アメリカの農業に限っていえば全く逆なのである。他のどの産業よりも急速な高度成長を遂げ、飛躍的に生産性を高めてきたのが農業なのである。
 アメリカの“強さ”を支えているのは、見方によってはその軍事力よりもむしろこの世界でも群を抜いた食料生産力であり、超大国として対立しているはずのソ連すらがアメリカからの穀物輸入に依存している。それはアメリカにとって外交上の有力な武器だから、ソ連への“制裁”のために禁輸措置がとられることにもなる。
 アメリカにとってそれは大変結構なことのようにも思えるが、伝統的な農民にとっては必ずしもそうではない。
 生産性を上げるためには大規模な経営の方が有利だし、儲かる産業とわかれば大企業がどんどん参入してくる。もはやアメリカでは農業は消滅寸前で盛況なのは農事業だとさえいわれる。外交上の強力な武器になるとわかれば連邦政府はその武器の手入れにどんどん介入してくるし、対ソ禁輸は政府の外交にはよくても農民には過剰農産物による価格下落をもたらす。
 こうして何代も続いてきた個人経営の農家、アメリカのハートランド(心臓部)でこの国の伝統を支える背骨とされてきた農民が苦境に追い込まれている。
 農民の倒産、離農などを連日のように伝える記事を強い関心と怒りを抱きながら読んでいたひとりの女優がいた。デビューこそ「キングコング」の腕の中で悲鳴をあげるモデル出身の美人女優にすぎなかったが「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「トッツィ」などで脱皮を重ね、地力を蓄えていったこの女優、ジェシカ・ラングは自身がアメリカのハートランド、農村部の一角(ミネソタ)で生まれ育った人間でもあった。
 「カントリー」で追い詰められても戦うことをやめない農民の妻(母親でもある)を主演する彼女はこの映画の製作者でもある。
 本来は地味な作品であるこの映画が全米でヒットしたのは、ウィンダム・ヒルの人気と同様、自然に根を下し、大地とともに生きる人間の大事さに多くの人々が共感したからだろう。利潤、効率、進歩だけが価値なら、この映画で描かれる農民たちは「滅びゆく種族」として葬り去られて当然だからである。
 西部劇の悪漢に当たる役が、この“現代西部劇”では連邦政府の冷酷で官僚的な農業政策だという点は皮肉にも興味深い。
 ウィンダム・ヒルとこの映画との結び付きが必然性を持っていたことの説明は、以上でおわかりいただけたと思うのだが、映画のオリジナル・サウンドトラックというのはいかなる音楽家にとってもある種の冒険の要素を含んでいる。音楽家として秀れていることが必ずよい映画音楽を生むとは限らないからだ。しかし成功した場合には、その音楽家たちにコンサートやレコード録音では得られない地平を切り拓くきっかけともなりうる。映画音楽はより具象化した表現を要求され、そういう外的刺激が新しい可能性を引き出すことがあるからだ。
 ジョージ・ウィンストン初めウィンダム・ヒルのアーチストたちが総出で挑戦したこのアルバムはそういう実験を見事にこなしていると私は思うが、そのいちいちはアルバムそのものをお聴きいただくよりない。
(1984.12 筑紫哲也)
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    | music | 2009.11.05 Thursday | comments(0) | trackbacks(0) |









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